都心・安い・自分仕様
コーポラティブハウスの魅力
都市景観を語る言葉 (21)ぜんざいシティ
アーキネット代表・横浜国立大学IAS客員教授 織山 和久
都市と建物の豊かな関係というと、中間領域やコモン、つなぎ、合間といった場所が重要だという議論になる。でも、こうした言葉には「残り」という語感がある。よくよく考えると、こっちの方が人の暮らしには本質的であり、そうしたイメージを打ち出すことが大事だと気づいた。
ぜんざい
ぜんざい すこし焼いた小ぶりの餅が、ほどよい甘味のあんに浮かぶ。あんの味がもちに絡んで後味もいい。
そこでイメージされるのが、ぜんざい。中間領域はコモンといった、人と人との関わりが味わいを生むところが、あんこ。建物は具のおもち。もちは柔らかくなって、あんこの味が浸みている。流動的で好きな分量を味わえるし、もちだけ、あんこだけ、と選択的に食べることもできる。あんこやおもちを継ぎ足すことができるので、サステイナブルである。好み(時代)に応じて、継ぎ足すあんこやおもちの風味も変化させられるので陳腐化しない。お椀のサイズなので、あんこも適量、おもちも小さめでスケールが抑えられる。現代都市に求められる特性は、どうもぜんざいに表現されそうだ。
あんころもち、ようかん
一方、一戸建て、ショッピングモールや複合ビル、巨大マンションなど機能が自己充足的で、外との関わりが希薄な建物が目立つ都市は、あんころもちである。見込み客は中に囲い込んで、とことん消費させる。外には出さない。お受験やダイエットなど関心はうちに向かう。だから中間領域は寒々しい。皮は乾いて堅い。味や大きさは予め決まっていて、追加も更新も難しい。ともすれば、巨大化もしてしまう。
高層マンション街 中間領域は、自動車の通行する道路に提供される。買い物に行くにも、歩行者は延々と数区画を歩くことになる。
こうした都心の光景とはよく比較されるのは、地方の村落である。そこでは、息苦しいほど濃密な共同体意識が、個人のプライバシーや自由にも優先される。どこに通っているか、だれと関係があるか、などは周りには筒抜けである。忙しいのに地元の消防団は抜けられない。末席で何も言えないのに、自治会は強制参加でしんどい。近所づきあいが個人を取り囲んでこてこてに固まった状態で、これは、もち入りのようかん。ようかんに嫌気がさした若い世代は、都市に向かう。
いままでの街づくりというと、あんころもちの個人主義と、もち入りようかんの共同体主義とのどちらか、といった究極の択一だった。でも、どちらもちょっと違う気がする。これからは、ぜんざいシティに豊かな可能性があると感じる。
ぜんざいシティ
台北・士林夜市 歩道に露店が並び、ぶらぶら歩きを楽しむ人たちの流れが絶えない。一帯には臭豆腐の独特のにおいが立ち込めて、人々の足を速める。
こう考えると、台北の都市風景は、ぜんざいシティの見本になりそうだ。まず朝食も夕食も、食事は基本的に外食、だから住宅の外の飲食店や、夜市もあちこちで発達している。お店も料理も日常的で、気取った感じばかりではない。
通りに面して連なる低層の建物は、一階部分にはずっとお店が連続していて、歩くのも変化があって楽しい。こうした建物の一階部分には引きがあって、雨もしのげる。お店の中には、この引きの歩道のところにテーブルとイスを出していて、人びとはそこで気軽に食事やお茶を楽しむところもある。通りを曲がると路地があり、路地を囲むように連棟式住宅が並ぶ。路地で遊ぶ子ども、腰掛けるお年寄りもいる。緑豊かで大きな公園もあちこちに分布していて、犬の散歩や太極拳など思い思いに過ごす。街中の小さめの公園には、直かに隣接してオープンカフェや飲食店が並ぶ。
台北・永康公園 公園の周りを低層の建物が囲み、一帯にのびやかさを醸し出す。公園に隣接して茶店のテラス席なども設けられ、ゆっくりとした時の流れを味わえる。
こうした夜市、引き、歩道、路地、公園といった場所は、まさにあんこの部分で、人びとの暮らしの大事なところが詰まっている。もちろん、お互いのコミュニケーションも豊かである。建物も、引きを生かす他、後付けで思い思いに窓をつけたり、店舗を拡張したり、とうまい具合にもちと絡み合っている。
台北もそうだが、京都の錦市場や花見小路界隈、東京の浅草や神楽坂、下北沢、戸越銀座なども、ぜんざいシティと言えるだろう。やっぱり、あんこが決め手である。こんな街をみたら「ぜんざい的だね」と讃えよう。
筆者プロフィール
株式会社アーキネット代表。土地・住宅制度の政策立案、不動産の開発・企画等を手掛け、創業時からインターネット利用のコーポラティブハウスの企画・運営に取組む。著書に「東京いい街、いい家に住もう」(NTT出版)、「建設・不動産ビジネスのマーケティング戦略」(ダイヤモンド社)他。